心得1~6

心得1~6

心得1 高崎線沿線の駅に泊まる場合、ホモに注意せよ

この沿線は、ホモが特に多いらしいと、ある事件後知りました。

まだ、私が20歳の頃(1970年代)、信州・蓼科近辺の山に登りに行く途中、群馬県高崎駅に泊まろうとしたときのことです。PM8:00の頃、駅の待合室で煙草を吹かしていたら、背後から、

「今夜、ここにお泊りですか?」

と40歳くらいのおじさんに声をかけられました。以下、その後の会話を記しましょう。

若い頃の私 「そうですが」
おじさん 「私は、終バスまで、まだ時間があるので、近くの喫茶店でコーヒーでも飲みませんか?」
若い頃の私 「暇だから、いいですよ」

…以下喫茶店にて
おじさん 「お腹空きましたか?」
若い頃の私 「実は、まだ食べていないんですよ」
おじさん 「食事ごちそうしましょう」
若い頃の私 「いいんですか」

…以下食堂にて
おじさん 「ちょっと、飲みませんか?」
若い頃の私 「いいですね」

…以下道々
若い頃の私 「煙草が、切れちゃいました」
おじさん 「買ってあげましょう」
若い頃の私 「いいんですか」

…以下スナックにて
おじさん 「君、なかなかいい足しているね」 ※この時、膝から下を切ったジーパンをはいていました。
若い頃の私 「そうですか」
おじさん 「おっと、いけない。終バスが出ていってしまったようだ。よかったら、この近くに私の知っている旅館があるから、そこに泊まって、朝まで語り合わないか」
若い頃の私 「そんな趣味ないですよ」
おじさん 「そういう訳じゃないんだがね」

この後、おじさんがトイレに行った隙に、ザックを担いで駅まで無我夢中で走りました。
ちょうど、信越線・横川駅までの最終列車に飛び乗ることができました。

ただ、発車のベルが鳴り、ドアが閉まるまでの間、あのおじさんが追いかけてくるのではないかと、駅の改札口をハラハラドキドキ、見ておりました。
あの時間は本当に恐かったですね。

後日、とある駅で野宿した際、同じような旅をしている人に、この話をしたところ、

「高崎線には多いんだよ、ホモがね」

と聞かされました。ただ、次の言葉が余計なお世話でした。

「特に君のような顔はホモに好かれるんだよ(?_?)」

【群馬県高崎駅周辺にて】

心得2 乞食さんからご馳走してもらっても、絶対に食べてはいけない

広島県・呉線の風早駅(1970年代当時無人駅、6畳程度の広さの待ち合い室あり)で、コロッケをメインディッシュに晩飯を食べていたときのことでした。

どうひいきめに見ても、乞食さんとおぼしき人が、

「あんちゃん、まずそうなもの食ってるんだな」

といいながら、待合室に入ってきました。その乞食さんが、

「今日は、羽振りがいいんだ。ほれ、この缶ビール、飲めや」

の誘いに、これも旅での一つの思い出になるなと、ありがたく頂戴しました。
続いて、ポケットをごそごそしながら、ささくれた真っ黒な手で、

「ほれ、さきイカも食えよ」

といわれ、これもありがたく頂いてしまいました。

この後、楽しい話で盛り上がり、夜半、乞食さんはねぐらに帰っていきました。

悲劇は翌日から3日間、続きました。

ピーヒャラ、ピーヒャラ。相当しんどい、下痢でした。(;_;)

【広島県風早駅にて】

心得3 無人駅の最新情報は、電車の運転手、車掌に直接聞くべし

無人駅を宿泊場所にしながら、鈍行列車に乗って、よく、旅をしたものでした。

全国の国鉄(1970年代当時、JRとは呼ばれていません。
よくスト権ストという、訳の分からないことをやっていました)の路線・駅に関する書籍の中に、無人駅を記したものがあり、これを利用して、寝泊まり場所を決めていました。

ただ、問題があって、泊まる予定の無人駅には、待合室があるのか、それもちゃんと四方壁で覆われているのか(雨風をしのげるのか)、現場へ行くまではわかりません。
特に終電に乗って、降りてしまったら、えらい悲劇であります。

そこで、よく使った手は、発車前に、運転手や、車掌さんに、

「今夜、ここに泊まりたいのですが、宿泊には適しているでしょうか?」

と聞いてみるのです。そうしますと、

「そこは、止めたほうがいいな。屋根はあっても、壁がないからね。それなら、あそこがいいんじゃないか、建て直したばかりで、ちょっとペンキの匂いが残っているかもしれないが。」

というような情報を大概教えてもらえます。特に、無人駅は、いわゆるローカル線に集中していますので、乗務員の方々は親切です。

【西日本一帯に】

心得4 無人駅に泊まる場合、不用意に周辺住民と接触するな

福井県・小浜線の東美浜駅(1970年代当時無人駅、4畳半程度の広さの待ち合い室あり)でのことです。

この無人駅で、ご飯を炊こうとして水場を探したがありませんでした。
そこで、近くに数軒人家があって、その一つの農家に、ポリタンをぶらさげて、

「今夜、東美浜駅に泊まるんですよ」

と、水を戴きに伺いました。
奥さんだけがいて、恐る恐る、水を入れてくれました。
まあ、田舎の人は人馴れしていないから、ああいう態度をとるんだなと思いました。

さて、晩御飯を食べていると、強そうな男性が待合室に入ってきて、

「おまえ、そこで何をしているんだ」

と怒鳴られました。事情を話したところ、その男性は、

「俺が家に帰ったら、女房が駅に変な人がいるから、様子を見に行ってきてくれと言われたんだ」

とおっしゃいました。
一瞬、私もムッときましたが、長髪で、何日も同じ服を着ていて、数日風呂に入っていない体裁でしたので、なるほど、世間はそう見ているんだなと納得したものでした。

【福井県東小浜駅周辺】

心得5 寒いときは新聞紙を活用すべし

冬、晩秋、早春の野宿は、寒いものです。
寝酒をやるのも一つの手でありますが、酒を飲めない人のために、安くて便利なものを紹介します。

それは、新聞紙です。寝袋の中に丸めた新聞紙を隙間無く入れるのです。
これが結構あったかいのです。
よく、バイク乗りが風除けに胸の当たりに新聞紙を挟むのと同じです。

【九州周遊にて】

心得6 ヒッチハイクは焦るな、時間はたっぷりある

ヒッチハイクは、そもそも金がないからやるという大前提がございます。

つまり、なんら生産的なことをやっていないのですから、その代わり時間を消費することしかできないわけです。
したがって、車がなかなか止まらなくても、当たり前、この姿勢がヒッチハイクの心構えです。

高知県・中村市から足摺岬に行く際、ヒッチハイクをやることにしました。
この時、家を出て、10日ほど過ぎて、金がなくなりかけていたので、少し節約する必要がありました。
歩いて中村市の郊外まで出てから、例の、握りこぶしで親指を立て、顔を車に対しちょっと向け、視線はバッチリ、ドライバーに向けるオーソドックスなポーズを始めました。
足摺岬に向けて歩きながら、1時間、2時間立ちましたが、観光地という所は、なかなか、車は止まってくれません。

そこで、ここいらで、休もうかと、道路脇で横たわりになって、時々、親指の代わりに、足を上げ下げすることにしました。
なんと、横たわって、10分もしないうちに車が止まってくれました。
わからないものです。
金が無い分、執念だけは持つようにしましょう。

【高知県足摺岬にて】

野宿の旅 心得集カテゴリの最新記事