「野宿の旅」心得集["Journey of sleep", Yun know]
![]() 心得の右側の( )内は、心得の元になった事件、事象が発生した場所・地名を指しています。 また全国の野宿屋さんから提供して頂いた野宿に関する情報交換の場、『野宿屋さんのベンチ』に行って、話を拾ってみませんか。 目次[Index]
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 心得1 高崎線沿線の駅に泊まる場合、ホモに注意せよ[Know-1]
まだ、私が20歳の頃(1970年代)、信州・蓼科近辺の山に登りに行く途中、群馬県高崎駅に泊まろうとしたときのことです。PM8:00の頃、駅の待合室で煙草を吹かしていたら、背後から、
若い頃の私「そうですが」
おじさん 「私は、終バスまで、まだ時間があるので、近くの喫茶店でコーヒーでも飲みませんか?」
…以下喫茶店にて
![]() おじさん 「お腹空きましたか?」
若い頃の私「実は、まだ食べていないんですよ」
おじさん 「食事ごちそうしましょう」
若い頃の私「いいんですか」
…以下食堂にて
おじさん 「ちょっと、飲みませんか?」
若い頃の私「いいですね」
…以下道々
若い頃の私「煙草が、切れちゃいました」
おじさん 「買ってあげましょう」
若い頃の私「いいんですか」
…以下スナックにて
おじさん 「君、なかなかいい足しているね」 ※この時、膝から下を切ったジーパンをはいていました。
若い頃の私「そうですか」
おじさん 「おっと、いけない。終バスが出ていってしまったようだ。よかったら、この近くに私の知っている旅館があるから、そこに泊まって、朝まで語り合わないか」
若い頃の私「そんな趣味ないですよ」
おじさん 「そういう訳じゃないんだがね」
後日、とある駅で野宿した際、同じような旅をしている人に、この話をしたところ、
群馬県高崎駅周辺にて [上へ]
心得2 乞食さんからご馳走してもらっても、絶対に食べてはいけない[Know-2]
ピーヒャラ、ピーヒャラ。相当しんどい、下痢でした。(;_;) 広島県風早駅にて [上へ]
心得3 無人駅の最新情報は、電車の運転手、車掌に直接聞くべし[Know-3]
西日本一帯にて [上へ]
心得4 無人駅に泊まる場合、不用意に周辺住民と接触するな[Know-4]
この無人駅で、ご飯を炊こうとして水場を探したがありませんでした。そこで、近くに数軒人家があって、その一つの農家に、ポリタンをぶらさげて、
さて、晩御飯を食べていると、強そうな男性が待合室に入ってきて、
福井県東小浜駅周辺 [上へ]
心得5 寒いときは新聞紙を活用すべし[Know-5]
それは、新聞紙です。寝袋の中に丸めた新聞紙を隙間無く入れるのです。これが結構あったかいのです。よく、バイク乗りが風除けに胸の当たりに新聞紙を挟むのと同じです。 九州周遊にて [上へ]
心得6 ヒッチハイクは焦るな、時間はたっぷりある[Know-6]
![]() 高知県・中村市から足摺岬に行く際、ヒッチハイクをやることにしました。この時、家を出て、10日ほど過ぎて、金がなくなりかけていたので、少し節約する必要がありました。歩いて中村市の郊外まで出てから、例の、握りこぶしで親指を立て、顔を車に対しちょっと向け、視線はバッチリ、ドライバーに向けるオーソドックスなポーズを始めました。足摺岬に向けて歩きながら、1時間、2時間立ちましたが、観光地という所は、なかなか、車は止まってくれません。そこで、ここいらで、休もうかと、道路脇で横たわりになって、時々、親指の代わりに、足を上げ下げすることにしました。なんと、横たわって、10分もしないうちに車が止まってくれました。わからないものです。金が無い分、執念だけは持つようにしましょう。 高知県足摺岬にて [上へ]
心得7 寝場所のいわれを知っておくことも大切[Know-7]
![]() 大分県・耶馬溪にある「青の洞門」に友人と一緒に野宿した時のことでした。右の写真が、その場所です。「青の洞門」は、実話の舞台となった所です。急流沿いの崖に作った道でよく人が落ちて死ぬという悲惨な状況を見かねて、どこかのお坊さんが、気違いあつかいされながら1人で隋道を堀り、何十年もかけて完成させました、確か、そんな内容でした。 寝袋に入り、焼酎を飲みながら、バカ話を延々としているうちに、背後から、ピチャピチャ、ヒタヒタという音が聞こえてきました。振り向くと止まるのです。私だけでなく、友人も気づいています。ちょっとこわくなり、残りの焼酎をがんがん飲みながら寝ることにしました。 翌日、青の洞門前で、露天風呂目指してヒッチハイクをしました。そのドライバー(30歳くらいの女性)に、昨夜の話をした所、そのドライバーはしばらくの間、黙り込んでしまいました。我々も、どうしたものか目を合わせました。そして、そのドライバーは、重い口を開きました。
大分県耶馬溪周辺にて [上へ]
心得8 周遊券はやっぱりいい[Know-8]
九州に、友人3人で旅に出たときは、購入した周遊券の額の3倍ぐらい利用したような気がします。1980年代の周遊券なので、現在と内容がいささか異なっていると思いますが、次のような使い方をしました。 このようなことは、ほんの一例ですが、周遊券というやつは、いい演出家だなと感じています。 東京−九州にて [上へ]
心得9 九州に行く際は、しょうゆ味のラーメンを持参するべし[Know-9]
![]() クソっ、カップヌードルまで、とんこつ味でした。(+_+) 九州周遊にて [上へ]
相当臭かったようでした。私は、まったく気づきませんでした。(∵) 北アルプス、JR中央線にて [上へ]
心得11 軍手は必需品。軍手に始まり軍手に終わるの極意なり[Know-11]
本の一例ですが、どうでしょう。何てたって、安いものですから、気軽に汚したり捨ててしまうことができますからね。 北アルプス、茨城県ひたちなか市にて [上へ]
心得12 旅のコストを下げるには、食費を下げるのが手っ取り早い[Know-12]
どうですか。栄養のバランスなんて考えません。これで、10日ほど旅を続けたことがあります。さすがに、最後は美味い食事に対し妄想を抱くようになりました。こういう経験をすると、食べ物のありがたさが身に染みます。金があれば、こんな苦労をする必要はありませんね。 西日本一帯にて [上へ]
心得13 夜行列車の旅に出会いあり[Know-13]
東北地方にて [上へ]
心得14 電車の寝場所は床に限る[Know-14]
東北地方にて [上へ]
心得15 思い出に切符を集める[Know-15]
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右の切符(1980年頃)は、東京都・立川駅を始発に青森県・弘前駅までの一筆書き切符(同じ駅を二度通過しない)を使って、山陰、中国、四国地方を旅したときに作った切符です。途中下車のハンコと、左上に終点弘前駅の無効印のハンコが見えるかと思います。 ちなみに、この切符の経路は、次の通りです。 立川→(中央本線)→塩尻→(中央本線)→多治見→(太多線)→美濃太田→(高山本線)→岐阜→(東海道本線)→米原→(北陸本線)→敦賀→(小浜線)→西舞鶴→(宮津線:現在、北近畿タンゴ鉄道)→豊岡→(山陰本線)→益田→(山口線)→小郡→(山陽本線)→三原→(呉線)→仁方→(仁堀航路:現在、廃航)→堀江→(予讃線)→北宇和島→(予土線)→若井→(土讃線)→多度津→(土讃線)→高松→(宇高連絡線:現在、廃航)→宇野→(宇野線)→岡山→(山陽本線)→神戸→(東海道本線)→草津→(草津線)→柘植→(関西本線)→名古屋→(東海道本線)→東京→(東北本線)→日暮里→(常磐線)→岩沼→(東北本線)→青森→(奥羽本線)→弘前。 名古屋近辺で、クロスしないようルートの工夫をしていることがおわかりでしょうか。総延長約3,320Kmにおよび、全線鈍行列車を乗り継ぎました。 本州−四国周遊にて [上へ]
心得16 ウィスキー・ボトル1本で広がる、夢のような世界[Know-16]
東北地方にて [上へ]
心得17 野宿にダンボール箱は必需品[Know-17]
青森県・長苗代(八戸線)近くの跨線橋の下で野宿したときのことです。この場所は、以前乞食が住んでいた所でした。一緒に野宿した今は亡き友のとっておきの場所です。この場所で、新宿駅西口の連絡道の浮浪者よろしくダンボール箱でねぐらを作って寝ました。これが、実に快適でした。浮浪者が好んで、これを使う理由が分かりました。皆さんも試してください。浮浪者を見る目が変わりますよ、変わってください。 青森県長苗代駅周辺にて [上へ]
心得18 東北の山奥には人情がたっぷり残っている[Know-18]
![]() 入洞前日、年々地区の公民館(右側の写真が1977年当時の公民館写真です。右側のチャラチャラ男が若き日のまる高です。)に泊めていただくために、村長(むらおさ)のところに挨拶に行き、快く使用許可をいただきました。その村長の家では、奥さんとおぼしき人が、上半身裸、すなわち、おっぱいポロリの状態でした。見ている我々の方が恥ずかしい思いをしました。この地区は東西を深い山に囲まれていて、村の中央を細い林道1本と、小川が流れていました。その小川の所々に湧き水が有り、それを飲料水としています。洗濯は、その小川でするようです。翌日、驚いたことに、公民館の玄関前に、ざるに山ほど入った野菜が置いてありました。気味が悪いものですから、村長の家に行って、そのことを伝えたところ、
岩手県下閉伊郡岩泉町安家年々にて [上へ]
心得19 東北の山奥には歴史がある[Know-19]
![]() 右の写真は、澄川で撮ったもので、真ん中の黄色のヤッケを着たウンコ・スタイルの男が若き日のまる高です。 幕営した近くには、お茶碗のかけらや、朽ちた柱が転がっていました。 秋田県澄川開拓地跡にて [上へ]
心得20 キャンプ場でまちがっても、Hをしようとしてはいけない[Know-20]
1990年代はじめの頃です。場所は、北アルプスのふところ、徳沢(上高地から歩いて2時間ほどの所)です。我々は、烏帽子岳から裏銀座コースで槍ヶ岳から下山し、ここに着いたときのことです。午後3時にはテントを張り、山行の疲れを癒していました。日差しはまだまだ強く、元、放牧場だけあって明るい雰囲気の広々としたさわやかなテント場です。夏休みは既に始まっていて、子供たちが結構いて、テント場を所狭しと走り回っていました。その頃、我々のテントの近くに、ドイツ系のカップルが2人用の小さなテントを設営していました。設営と同時にそのカップルは、テントの中に潜り込んだようです。周りが日本人ばかりで、ちょっと照れているのかと思いました。ところが、ところがだ、これが。いきなり、
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この女性の声がすごい。吠えているとしか言いようがない。 子供たちの親達はパニックです。子供たちは何事が始まったのか、ポカーンとしていました。子供の耳をふさぐ親、子供の手を引いてテント場を離れる親、それぞれ対策を講じていました。 そんな、騒ぎをよそに、このドイツ系カップルはテント場と同じさわやかな雰囲気で、テントから伸びをしながらでてきました。 馬鹿野郎。 北アルプス・徳沢にて [上へ]
心得21 酔っ払って、砂浜に寝てはいけない[Know-21]
今、ユネスコの世界遺産に登録されて有名になった白神山地・白神岳から下山し、津軽西海岸の国鉄五能線の陸奥黒崎駅からほど近い砂浜に、野宿することにしました。夏の盛りの頃で、疲れを癒すために先輩とビールを結構、ガンガン飲みました。眠気が襲い寝袋に入り、顔だけ出して寝ることにしました。いろいろあった山行を思い出しながら…… さあ、朝です。いきなり、全開の大爆笑です。先輩の顔を見たら、その顔がゴルフボールのようにボコボコしているではありませんか。何のことはない、私の顔も同じ状態になっていました。二人とも、ビールに誘われてやってきた蚊に刺されてしまったのです。 青森県津軽西海岸にて [上へ]
心得22 船に乗るときは、前日に深酒をしてはいけない[Know-22]
探検部の新人の頃、津軽半島にあるロッククライミングの隠れた名山・縫道石山に行く前日に、同級のアホと午前3時の頃まで飲んでいました。かろうじて部室に泊まって、朝、同行メンバーに6時の頃、起こされその足で、弘前駅から青森駅に向かいました。縫道石山へは、青森港から陸奥湾を船でほぼ縦断しなければ行けません。この日は、低気圧の影響で湾内と言えども、かなり、波が揺れていました。元々、酔い続けていた私は、胃袋が激しく動き回ることにより、酔いが戻り、さらに酩酊状態になりました。 目的の港に着いたときには、限界に達していて、さっそく、ゲロゲロ、ゲロゲロ、ペッペッペッでした。 青森県弘前市、陸奥湾にて [上へ]
心得23 水不足の時期は、それなりの覚悟が必要です[Know-23]
1978年夏真っ盛りの頃だと思います。信州は美ヶ原高原方面へ一人旅をした時の話です。扉峠方面から美ヶ原高原へ向けて、軽登山をするつもりでした。扉峠までは当然、ヒッチハイクでつないでたどりつきました。この時、信州は記憶にないくらい深刻な水不足でした。出発前にその状況はニュースで知っていました。扉峠の売店で、いつもの旅のように、水を分けてくださいとお願いに参りました。ところがです、無情にも
満天の星を仰ぎながら、『レトルト・カレーを目に浮かべ、生唾、ゴックン』でした。 長野県美ヶ原高原周辺にて [上へ]
心得24 寝場所は、明るいうちに決めておくか、下見をしておきましょう[Know-24]
確か、10月のなかば過ぎの頃だと思います。恐山へ行く定期バスが春まで運休になる前日でした。とにかく恐山を一目見て、歩きたくて訪れました。観光客がほとんどいないせいか、期待通り、いやそれ以上、神秘的な風景が広がっていました。午後、尻屋崎の観光ポスターにひかれ、そこをその夜の寝場所と決め、バスを乗り継いで向かいました。着いたときは、既に夜8時になっていました。とりあえず、バス停から尻屋崎の灯台の灯かり目指して歩いていきました。灯台から100m位、離れた所でエアーマットの上に寝袋とツェルトマットで寝ることにしました。快晴の天気で、満天の星、波の寄せる音、沖には、イカ釣り漁船の漁り火が点々と光の線をなしていました。とても幻想的でした。 さて、問題は翌朝置きました。エアーマットの回りは、馬糞だらけでした。そうです、あの観光ポスターは青い海、白い灯台、緑の草原、駆け抜ける茶色の馬達を紹介していました。 クソォー、クソッ、クソッ、クソッ、やっぱり、クソォー 青森県尻屋崎にて [上へ]
心得25 ガキを甘く見てはいけない[Know-25]
![]() 弘前大探検部時代、3人で探検することになりました。穴自体は、高さ1m弱程度で、核心部は下に向かって進んでいましたが、がれきで埋もれていました。穴の中で一泊した翌朝、穴の外から、ガキ供(5人くらいいたのかなあ)が
そこでは、ガキ供(津軽弁ではワラハンド)はたき火をしながら、ダンボール紙をうちわにして穴の中に煙を送っていたのです。 青森県津軽石川駅周辺にて [上へ]
心得26 氷点下での野宿、アルコールはストレートで飲むべし[Know-26]
最初の晩、いつものように、ちょっと濃い目の水割りを飲んで寝袋に入ろうとしましたが、寒くて寝るところの騒ぎじゃありません。その水割りはただの水と変わりありません。ウィスキーをストレートで飲むと、ちょうど水割り並みになります。 ロシア人が70度のウオッカを飲み干す理由がわかりました。 岩手県下閉伊郡岩泉町氷渡洞にて [上へ]
心得27 買い出しの時、食材を必ず確かめること[Know-27]
温めて、いざ開封してみたら、豆腐が入ってないではありませんか。開封するまでは、パッケージの写真のように豆腐が入っていると思っていました。やむを得ず、ご飯にマーボドウフの素をかけて、腹に流し込みました。裏のテントでは、ジュージューと音を立てて、焼き肉をしていました。洗い場で、そのテントの女性に会い、
確か、焼き肉は、まだ3分の1は残っているはずなのに。 長野県白樺湖周辺にて [上へ]
心得28 食料を安く上げようとして、苦しい思いをすることもある[Know-28]
![]() 2日目のお昼、テント場の前の沢で食器を洗っていた後輩が、
一同、込み上げるラーメン・げっぷに堪えながら、肯くばかりでした。 青森県弘前市座頭石周辺にて [上へ]
観光地ですと、経験的にこういう事にはなりません。単独で北アルプスや無人駅に寝泊まりしても、こういう事にはなったことはありません。それは、近くに誰かいるという安心感があるからだと思います。恐らく、単独行に慣れた小生の場合でも、半径1Km以内に人がいないと、不安になってしまうのでしょうね。 青森県岩木山、津軽半島にて [上へ]
心得30 小さな駅でも早起きすべし[Know-30]
当時、無人駅でだった東松江駅に最終列車で到着しました。小さな待合室でさっそく、バックパック下段から寝袋を取り出し、サントリーOLDウィスキーを愛用のオレンジ色のホーローカップにそそぎ、寝る前の儀式完了です。寝袋に入りチビリチビリ、ウィスキーを飲みながら今日の思い出に浸り、また明日の行き先を考えているうちに熟睡です。 何やら、回りがやけにざわついていました。寝袋の口から顔を出したら、列車待ちの通勤、通学の方にズラーリと囲まれていました。とにかくバツが悪くて、バックパックと寝袋を担いで、駅の外にそくそく退散しました。 島根県松江市東松江駅にて [上へ]
心得31 惨めな気持ちになっても初志貫徹すべし[Know-31]
翌々日、土讃線の列車で高松に向かう途中に、全国一立ち食いうどんの旨い駅・阿波池田駅がありました。とうとうがまんできず、列車の停車時間に持ち帰り用容器入りのうどんを買ってしまいました。ところが、発車のベルが鳴り出し、急いで戻ろうとしたら、なんと靴の紐がほどけていて、ホーム上でズデン。無残にもうどんは末広がりの状態に。泣く泣く、列車に飛び乗りました。 あーっ、食べてみたい阿波池田駅の立ち食いうどん。 高知県足摺岬、徳島県阿波池田駅にて [上へ]
心得32 たまには、小屋がけもいいもんだ[Know-32]
この原始的な小屋に寝た晩は快晴でした。屋根の隙間からこぼれるように星が見え、快眠が期待できます。 ところが、明け方、妙に顔が冷たくて目が覚めました。どうやら夜露が落ちてきたようでした。顔の上に傘を広げて、もう一眠りの贅沢な時間を過ごしました。 青森県白神山地にて [上へ]
心得33 車で移動中はカーテンを閉めるべし[Know-33]
マラソン会場の近くで車中泊するために、愛車日産セレナのセカンドとサードシートをフラットにし、布団を敷き詰め自宅同様の快適な睡眠が可能な状態にしておきました。いつもの車中泊なら寝袋を利用しますが,翌日、フルマラソンを走るため万全の体制で望んだ次第です。 さて、東名道清水市付近で工事と交通事故による渋滞に巻き込まれてしまいました。ノロノロと走行中、女子高生を乗せた大型観光バスと並行した時です。黄色い声で、 「えっち〜」、「いやらしぃ〜」、「ああいう、クルマってアブナイのよね」等々の声声。 小生の愛車はカーテンを閉めず外から丸見えの状態でした。しかも、毛布の色はピンクでした。 静岡県清水市付近にて [上へ]
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