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今世紀の一大総括



ラン中 2000/12/27(水) 23:26:16

今年も、というより今世紀も押し詰まってきたので、いよいよ今年の総括をさせてもらいます。
でも皆さん言いたいことがいっぱいあることと思いますので、今年の反省、
今世紀やり残したことでも何でも書きたい放題どうぞお願いします。


ラン中 2000/12/27(水) 23:26:36

世紀の総括とはぶち上げたものの、まる高に加わって1年1カ月、走り始めてからでもまだ12年しかならないので、
そんな大それたことが書けるわけでもなし。まずは手短な「今年の成績総括」から行かせてもらいます。
ラン中にとって、今年は走り始めて12年、レースに出場し出して6年目の年でしたが、
一皮もふた皮もむけた栄光の2000年となりました。
いささか手前味噌の懸念はありますが、小生の栄光の2000年をデータで振り返らせて下さい。
(1)走行距離数
これは最近数年の年間走行距離です。
1997年 1977km
1998年 2064km
1999年 2433km
2000年 3358km (12/27現在)
既に昨年の11月まる高に参加して以降距離数が伸び始めていたのですが、今年に入っての伸びは今までとは質的に異なる驚異的なものでした。
(2)レース成績
1997年 20回 39位
1998年 18回 37位
1999年 21回 34位
2000年 20回 24位
年の次の数字は年間のレース出場回数ですが、大きな変化はなく、毎年20回前後出場しています。最後の数字は着順を百分率で表したもので百人で走ったとして何位でゴールしたかを表しています。我々のマラソンは人と争うスポーツではなく、努力の結果としての自分の向上度を見つめるものと思うが、それにはタイムがどの程度縮まっているかを見ることのほかに、着順がどの程度上がっているかでも自分の向上具合を見ることができる。
97年から99年にかけて着実に向上してはいるもののそれほど著しいとは言えない。ところが、2000年は10番ほどはね上がり遂に20番台となった。これが2000年の走り込みの成果であることは言うまでもない。
(3)タイム更新
各距離でのタイムの向上具合を見ると、次のとおりです。
 距離    昨年までのベスト(A)   2000年のベスト(B)  向上率(B/A)
5km     20分03秒      19分45秒       98.5%
10km     41分04秒      39分27秒       96.1%
10マイル   1時間11分34秒  1時間05分24秒     91.4%
ハーフ    1時間33分01秒  1時間27分14秒     93.8%
フル     3時間31分57秒  3時間18分11秒     93.5%
今年に入ってからの自己ベスト更新は全部で10回(ハーフ3回、フル2回、2km、5km、10km、10マイル、20kmが各1回)。つまり2回に1回は更新した勘定です。特に10〜11月は絶好調で、5回走ったレースの全てで自己ベストを更新しました。
(4) 後書き
 自慢話になってしまったのではという反省はありますが、このように記録尽くめの輝かしい1年を送ることができたのは、
ひとえにまる高の皆さんとの連帯感に励まされてのことだと思っております。
市民ランナーのタイムは走り始めて10年は伸びるとか、50歳までは伸びるとか聞いたことがありますが、
小生も走り始めて12年、年齢も来年10月には52歳となります。
そろそろ記録も頭打ちとなる頃と覚悟しておりますが、一方でまだまだ粘れるかなとも感じております。
それは走り込みを少しずつ増やしていくことです。幸い、子供たちも巣立ち、
カミさんと2人暮らしなので、時間を作ることにはそれほどは苦労しません。
カミさんの「亭主元気で留守がいい」の希望にも沿って走る距離を増やしていけば、
加齢による衰えをある程度カバーすることができるのではないかと言うことです。
皆さん、21世紀も引き続きよろしくお願いします。


としゆき [Mail] 2000/12/30(土) 23:22:42

走り始めて13年になりますが,今までの総括をしてみます。
1.年毎の走行距離とトピックス
 1988年  555km(初レース16マイル,初ハーフ,大会4回)
 1989年  840km(大会3回)
 1990年  712km(初フル4時間14分,短期間フル出場で故障,大会4回)
 1991年  868km(何故かフルでタイムアップ3時間42分,大会6回)
 1992年  1807km(フル3時間21分,大会10回)
 1993年  1857km(秋田100キロ12時間28分,膝故障1ヶ月,大会6回)
 1994年  2343km(山岳耐久17時間27分,フル3時間20分,大会7回)
 1995年  2361km(富士五湖117キロ14時間9分,大会10回)
 1996年  1329km(初のレースリタイア山岳耐久,大会4回)
 1997年  1594km(山岳耐久15時間40分,水泳で心肺機能強化,大会9回)
 1998年  1462km(富士登山時間内完走4分超過,足首軽微な剥離骨折,大会8回)
 1999年  3919km(富士登山4時間22分,山岳耐久14時間13分,全種目で自己記録更新,大会13回)
 2000年  5032km(24時間走,武蔵野の路,立山登山,甲州街道,フル6回,
           フル3時間10分,大会14回)
 2001年  ?km( ???? )
2.振り返り
 92,99,2000年に3回の変曲点がある。
 92年:あまり練習してないのにフルでタイムアップ出来たので,3時間30分突破が
     楽に出来ると思っていたら,案に図らんや,思った通りに行かず,少し真剣に走り始めた。
     が,このレベルの練習での頭打ちとなり,走友が転勤で殆ど居なくなるにつれて
     だんだんランニング生活がマンネリ化して行った。
 99年:会長の誘いで「まる高マラソン」に参加し,そこで出会ったじょうじょうじょさんの刺激を受け
     飛躍的に練習量が増加すると共に,面白い様に自己ベスト更新。まる高効果発現
 2000年:99年末じょうじょうじょさんの誘いで海宝ロードランニング練習会に行った時
     カタランさんから聞いて登録したUMMLのメールから,shirubeさんのマラニックに参加。
     もともと山歩きが好きな自分に,マラニックが性に合う事を実感!
     走りそのものや景色を楽しむウルトラに完全にはまり,ウルトラに出る度に知人も増え,
     ますます世界が広がって行く。
     それにしても,インターネットの威力は凄い!
     特に田舎に住んでいる自分にとって,ここまで世界が広がって行くとは,ネット無しでは
     とても考えられなかった。沢山走る変な人は広い世間ではいるけど,
     身の回りには,そうそう居ない。
3.今後の展望
 来世紀は,どの様な走りをしていくのだろうか?
 きっと,色々な大会を完走した後は,自分なりのスタイルで走りを楽しむジャーニーランに
 平地・山地を問わず,はまって行くに違いない。
 新しい事をして行く過程で,また何か新しい歓びや可能性を見出し,走りも少しづつ変化して
 行くでしょう。
 ひょっとして,故障が原因で,あまり走れなくなるかも知れない。しかし,その時でも,走りを
 完全に捨ててしまう事は無く,きっと,今まで走った蓄積の上に,何か新しいスタイルを見出して
 楽しんで行くでしょう。今までのランニング生活は,自分の中で永遠に不滅だと思います。
 機会を見つけて,多くの友人達と一緒に走りを楽しみたいです!
 皆さん,来世紀も宜しくお願いします!


ラン中 [Mail] 2001/01/05(金) 19:26:16

今世紀の一大総括と銘打った割には、小生の前回の書込みは2000年のちっぽけな内容だけにとどまっていたことに気づきました。
そこで、ラン中の誇るデータベースを基に、小生の20世紀の足跡をまとめてみました。
子供の頃: 生まれは南国宮崎。取り立てて走ることが得意だったり好きだっりしたと言う記憶はない。
小学校1,2年生の運動会の徒競走で、2年続けて途中で転んで泣きながらビリでゴールした記憶がある。
でもその時兄が、「転んだ後も起き上がり最後まで全力で走っていたから、えらい」と誉めてくれたのが、
大きな慰めになった覚えがある。転ばないときには真中より少し速いくらいだったと思う。
中・高校生:九州と言えば昔から駅伝の盛んな土地柄で、各学年でクラス対抗駅伝大会があった。
小生が正選手に選ばれることはほとんどなかったが、時折補欠に選ばれることはあった。
そして、レギュラーの風邪などで出番が回って来て実際に出たことも2,3回あった。高校1年生の時の記憶だと、
走り出して直ぐ抜かれ、たすきを渡す間際に一人抜いて可も無し不可も無しというところだった。
また高校では全校男子生徒による10km走があった。3年生の時が最も成績がよく、約800人中100位以内に滑り込んだ記憶がある。
このときは中盤まで力を温存して、最後の3kmでごぼう抜きする作戦が功を奏した。
学生時代: 全くといっていいほど走っていない。草野球とサッカーを軽くやった程度。
入社後: 会社に入って、4,5年目。年令は30ちょっと前の頃、昼休みに走っていた時期があった。
でも何故かあまり続かずにやめてしまった。
助走(1988年): 12月初めに皇居付近に職場のある所へ1年間出向した。
もともと東京では飲んだり食ったりする機会が多く、運動不足になりそうな不安があったところ、
課長からどうせやることないなら昼休みに皇居1周しないかと誘われ、二つ返事でOK。
課長は1周5kmを楽に20分切って走る人で、それに対し全く運動していなかった小生は桜田門手前から走り出して、
千鳥ヶ淵に上りきったところで足が動かなくなり遂に歩く羽目に。
第1回は1周に33分もかかった。その後3回目からはようやく走りきれるようになり、
また走るごとにタイムも速くなってどんどんはまっていく。
その後、東京から茨城に戻ってきたが、走ることはすっかり習慣化し、平均して週に2,3回走ることとなった。
飛躍1(1995年): それでもこの頃は走るのは昼休みだけで、走行距離も年間300〜400kmのランナーだった。
それが大きく変わったきっかけは、1995年の勝田マラソンへの出場申込だった。
それまでは5km以上走ったことがなかった私が10kmに出ることにしたので、休日に千波湖を3周(9km)するトレーニングを開始。
そのため走行距離がグングン伸びるとともに、昼休みのタイムも速くなってきた。
勝田そのものは、当日大阪出張を命じられ涙のキャンセルとなってしまったが、悔しさのあまり、
それ以後ランナーズと今は亡きシティランナーを買って来て、近隣の大会に狂ったように申し込み始めた。
今でも平均月2回、年間20レース程度に出場している。
飛躍2(1999年): 第2回目の飛躍は一昨年11月まる高マラソンを見つけて以降。
別に競争している訳ではないのだけれど、何故か頑張って走ってしまうため、
走行距離は伸びるは自己ベストは面白いように更新できるはで、只今絶頂期にある。
走り始めてからの年間走行距離、年間走行日数及び何日に1回の割で走っているかは次のとおり。
(2000年は異常ですね。ほとんど毎日走っている。雨の日でも?)
1988   24 km   6日  4.0日
1989   451 km  102日  3.6日
1990   300 km   82日  4.5日
1991   444 km  102日  3.6日
1992   372 km   86日  4.3日
1993   251 km   59日  6.2日
1994   695 km  145日  2.5日
1995  1412 km  202日  1.8日
1996  1666 km  194日  1.9日
1997  1971 km  236日  1.6日
1998  2064 km  232日  1.6日
1999  2417 km  278日  1.3日
2000  3423 km  328日  1.1日
思い出のレース:
○1995年の葛生原人マラソン(20km) 
勝田に出られなかった悔しさをぶつけた最初のレースで、初めてにしては意外に良いタイムだった。
平坦で走りやすいので、それ以来毎年出続けている唯一のレース。
○1995年のつくばマラソン(フル)
フルに挑戦するのは来年と思って計画的にトレーニングを始めていたのに、我慢できず衝動的に申し込んでしまった。
途中で35km以降走れなくなって、屈伸を繰り返しながらやっとたどり着いたゴール。
いやゴール目前50mでまた足が動かず急停止。みんなの激励を受けてようやくゴール。
それでもわずかに4時間を切るタイムに感激。
○1998年の霞ヶ浦(フル)
過去5回のフルマラソンでは全て35km以降走れなくなったことから、過去のデータを分析したところ、
前半のペースと後半のペースには明確な逆相関があることを発見した。
そこで、前半を4分50秒以上のペースに上げないという鉄則を持ち込んで初めて本当の完走を果たした大会。
データ分析が初めて役に立った。
○2000年の勝田(フル)
まる高の皆さんと初めて会い、レースもレース後の打上げも楽しかったこと。
以上ちょっと長すぎたかな。